海上都市と飛行船物語 地球は200億人分の幸せを用意している。

 連載第6

                                  阿竹 克人

前号までのあらすじ、愛知県職員三田信子は太陽熱で浮上する飛行客船「飛鳥X」に乗って沖の鳥島市に着いた。「飛鳥X」は48時間で大阪、名古屋、東京の各都市から伊豆諸島、小笠原、沖ノ鳥島、大東島、沖縄を経て大阪に戻る「タイフーンクルーズ」と呼ばれる周回コースに就航している。沖ノ鳥島市は人口三万人の文字通りの意味で海に浮かぶ人工海上都市で、外観は環礁に囲まれた自然の島のように見える。そしてその礁湖はあふれる太陽エネルギーと海水からマグネシウムなどさまざまな資源を取り出す海洋コンビナートだった。信子は早朝の散歩で行った島の最頂部の公園で、同じ飛行船に密航してきた中国人留学生、阿多慶に出会い、不用意にIDカードを渡してしまう。不正使用の形跡があり県警に連絡を取る信子だったが。

 

第九章       ネットカフェ蜂の巣

信子は110番ではなく昨日名刺交換した愛知県警沖ノ鳥島署の田中という担当者に電話した。まだ若いのに髪の毛に不安のありそうな男性だ。

「あっ、あの、昨日お目にかかった愛知県沖ノ鳥島支所の三田といいますが、

あの、実は携帯電話を紛失しまして、・・・・・遺失物のとどけの課ですか、

それは見つからなかったら提出しますが、

とりあえず電波の出ているところがそちらで分かるのではないかと思うのですが・・・・。

 そうなんです、鳴っているのは分かるんですが、どなたも出られないんです。

もちろん規則でそんな捜査情報漏洩みたいなこと簡単にできないのは分かっているんですけど、そこをね。お願い。困ってるの・・・。

あっ、ありがとうございます。

いえ場所さえ分かればこちらから取りに行きますから。そのケータイ番号ですか。えっと。」

 信子は田中に山上公園で交換した阿多慶の番号を告げた。

それが実は不審者の電話番号で、着任早々軽率にもその男に自分のIDカードを渡してしまって、不正使用で被害が出たなんて、絶対にいえない。

あと、あのIDカードに年齢を10歳もサバ読んで入れたのもちょっと知られたくない。

 阿に直接電話することも考えたが、そんなことをしたら逃げられてしまうかもしれない。ここは自力解決あるのみ。そんなに危険なやつにも見えなかったし。

位置分かったらかけ直しましょうか?といわれたが切らずに待つことにした。ケータイなくしたはずなのでこのケータイにかけ直してもらうのは変でしょう。

待つことしばし、発信位置が分かったという。

「そうですか、分かりました。ええ、ええ行きました。あのぉ視察で。わかります。

そうですよね。よく考えたらそこしか考えられない。あたしってドジ。

見つかったらまたなんかお礼しますね。

ほんとありがと。」

 女は得だ。

 電波の出ている場所は島の南東にある「カフェ蜂の巣」という名前のネットカフェということだった。もちろん行った事など無い。

「変わった名前ねえ。」

 

 阿はブースで目を覚ました。ここのブースは六角形をしている。そういえばここの名前は「蜂の巣」だった。この島の建物のプランは六角形だらけだ。おかげで通路はまっすぐ通らない。

ソファがゆったりしているのでけっこう快適だ。東京のネットカフェを渡り歩いていると腰を痛めてしまう。

 とりあえずドリンクバーから熱いコーヒーを取ってくる。パンは別料金だけど、最後にこのカードを使えばいいわけだ。これって結局、三田っていったっけ、昨日の彼女の所に請求が行くんだろうな。いつか分からないけど。しーらないっと。

 コーヒーを飲みながらネットチェック、この島の中のアルバイト情報はほとんど無い。隣町の情報って小笠原? そりゃそうだけど日本でこんなに遠い隣町もあまりない。この島にも大学生がいるはずでみんなどうしてるんだろ。

 

第十章       新島工業研究所

そのころほかにも阿の動きをチェックしている男がいた。新島譲二、株式会社新島工業

研究所の創始者で発明家。最近65歳の誕生日を迎えたのを機に代表取締役社長を後進に譲って会長に収まっている。新島とは人工島の意味ではなく、トヨタのように単に創始者の苗字だったのだ。

 仕事は会社で週に一回いくつかのプロジェクトの進捗状況を聞きアドバイスすること、あとは表向き音楽やボードゲームやフィッシングなど、いくつもの趣味の集まりに参加し、悠々自適の生活。といいたいところだが、島ではヌシと呼ばれていて、なんだかんだと引っ張り出される。

 家族は名古屋においてきた。名古屋や東京に住んでいたらもっと雑事で忙しかったに違いない。仕事を理由にしているが、それがこの人工島に居を定めている大きな理由だった。

 株式会社新島工業研究所・通称NIMRAはこの島を船とすると船体の部分の大半を占めている。上部構造が沖ノ鳥島市という海上都市になっているといっても良い。船体部分のほとんどは基本的に無人の海洋コンビナートになっていて、海水から太陽エネルギーを使って水素とマグネシウムなどの材料を取り出している。もちろん真水も作られ、中型のタンクやペットボトルなどに詰められ、ホリゾンタルエレベータ通称ホレレによって島内に配られる。

  船体部分の海中に面したいくつかの場所に研究施設が分散していた。窓から環礁部分の下部の海中の景色が見える、

 NIMRAでは今大きなプロジェクトをいくつも抱えていた。沖ノ鳥島市は最初の大規模な実験都市であったが、さらに大きな海上都市の要請があった。温暖化の進行で海中に没する南太平洋の国が増えている。アフリカの死亡率が低下し、人口爆発も進行している。

 さらに化石燃料の枯渇、人口爆発に対応する食糧増産によって引き起こされる砂漠化、灌漑のために黄河も揚子江もミシシッピもみんな枯れ川になってしまった。さすがにアマゾンはまだだが。

 人工島は海水と太陽からエネルギーや資源と同時に真水も生産する。それをある方法で内陸に送って砂漠化の進行を食い止めるプロジェクトが進行している。それが現在最大のプロジェクトだ。雲の飛行船プロジェクトと呼んでいる。要素技術はすべてできている。あとは運用体制を確立するだけだ。

 新島はちょっと趣味的にこの島にあるゆるやかな監視体制を敷いていた。防犯カメラや盗聴器をあちこちに仕掛けたわけではない。もっとスマートな方法だ。その網に昨日、阿が引っかかった。阿の画像が定期的に送られて来ている。昨晩「ネットカフェ蜂の巣」に泊まったことも分かっている。このネットカフェは島内の多くの企業と同様、新島工業の子会社になっている。

 「さてちょっと出かけるとするか」新島は立ち上がった。

 

第十一章 レストランタベルナ

 「蜂の巣」で朝食を終えた阿は今日いきたいところをチェックして、出かけることにした。とりあえずバイト先を探さないと。チェックアウトカウンターに行く途中、螺旋階段を見つけた。上がってみると、そこは普通のカフェレストランになっている。

どうやら同じ経営者が両方の店をやっているらしい。こちらの扉にはカフェレスト「タベルナ」と書いてある。タベルナがどっかの言葉でレストランだと聞いたことはある。

こちらはざっと30席ほどの広さ。大きな窓と窓の外に芝生があり、そこにも白い椅子とテーブルが何席か見える。そしてさらにその外側には太平洋が広がっている。客席にはまだ客の姿は無い。

窓に面した一段高い場所にピアノがあった。こういう場所に多い、白い小型のグランドピアノだ。近寄って蓋を開けてみる。鍵はかかっていない。

ポーンと音を出してみる。いい音だ。ついでコードをいくつか鳴らしてみる。悪くない。

いつしか気がつく阿はモーツアルトのソナタを本気で弾き始めていた。K332Fdur。ソナタアルバムに載っている曲だ。ピアノは子供の頃中国で習った。家はたいして豊かではなかったが、一人っ子なので大切に育てられた。

 

 一楽章を弾き終わると、後ろで拍手がした。60歳はとっくに超えていると見える白いアゴヒゲの男性だ。服から見るとここのオーナーのようだ。

 「いやあ上手ですね。なにかポップスとかジャズは弾けませんか」という。しばらく日本に来てから弾いていなかったが、オーバーザレインボウを弾いてみた。意外に指が動く。

 また拍手。つい気分がよくなる。

「よかったら、ときどき弾いてくださいよ。アルバイトで、

このピアノ僕がたまに弾くだけでね。」

 といっておもむろに座りジャズのスタンダード「いつか王子様が」を弾き始める。

めちゃくちゃ上手かった。

みゃーという声がして振り向くと昨日の猫「ミャー」がひらりオーナーのひざに飛び乗ってこっちをみている。「うちの猫なんです。」とオーナーが笑っていう。

ちょっと驚いたがとにかく握手して、階下のカウンターに向かう。

 

そこで事件になる。IDカードを出すと、このカードは使えませんと表示される。なにやら届けがでているらしい。店員がちょっと発行元に問い合わせるという。まずい。

金額を聞くと1530円、そのカードは人からもらったものなので現金で払うといったが、あなたのIDカードはどうされましたと逆に問い詰められる。

いつのまにかさきほどのオーナーもやってきた。

そこで阿のケータイが鳴る。

「もしもし、あたし。忘れた? ここよ」

振り返ると信子が立っていた。

 

 「たしかにそれあたしがこの人にあげたカードなんです。県職員の三田といいます。

あたしがホテルに手配しといたもので、ここの仕組みよく分からなかったんで。

彼はあのう、県の臨時職員です。本式のIDカードはこれから発行するんですけど。

ほらあなた現金で払いなさいよ。」というと。

 「いやそれは私もちにさせてください。さっきすてきなピアノを聞かせていただいたお礼ということで。・・申し遅れましたが」といって名刺が差し出される。「えっとこれかな、」どうやら何種類も名刺があるらしい。カフェ蜂の巣オーナー、新島譲二 と書いてある。

 

 そこでまた阿のケータイがなる。阿が出ると、「県警の田中といいますが」というのでぎょっとする。「あれ、これ三田さんのケータイじゃないの」という。とっさに三田は阿からケータイを取り上げる。「あどうも、ケータイ見つかりました。ありがとうございました。ちょっと人のケータイ勝手に出ないでよ。」と聞こえよがしに言う。

 起こったことの意味がさっぱりわからない阿であった。

 次号につづく