海上都市と飛行船物語 地球は200億人分の幸せを用意している。

 連載第7

                                  阿竹 克人

前号までのあらすじ、愛知県職員三田信子は太陽熱で浮上する飛行客船「飛鳥X」に乗って沖の鳥島市に着いた。「飛鳥X」は48時間で大阪、名古屋、東京の各都市から伊豆諸島、小笠原、沖ノ鳥島、大東島、沖縄を経て大阪に戻る「タイフーンクルーズ」と呼ばれる周回コースに就航している。沖ノ鳥島市は人口三万人の文字通りの意味で海に浮かぶ人工海上都市で、外観は環礁に囲まれた自然の島のように見える。そしてその礁湖はあふれる太陽エネルギーと海水からマグネシウムなどさまざまな資源を取り出す海洋コンビナートだった。信子は早朝の散歩で行った島の最頂部の公園で、同じ飛行船に密航してきた中国人留学生、阿多慶と出会い、不用意に渡してしまったIDカードを取り返すべく行ったネットカフェ蜂の巣で、オーナー新島譲二と出会う。彼はこの島のヌシともいえる人物だった。

 

第十二章 排出権取引

 実は三田は少し前にネットカフェについていた。オーナーと阿多慶がレストランタベルナのピアノを弾くのも聞いていた。三田はピアノはあまり自信がなかったが、バイオリンは小さいときから習っていた。大学のオケではコンマス(コンサートマスター)をやらされたくらいの腕前だった。ここにバイオリンがあったらなあ、と思いながら聞いていたのだった。そういえば高校の時あこがれていた青木君もピアノが上手だった。文化祭の余興で、モーツァルトのテンポディメヌエットを合わせたことがある。三田が阿多慶のことを悪いやつだと思えないのは、どことなく青木君に似ているからだった。

 改めて新島に名刺を差し出す。

愛知県沖ノ鳥島支所総務部総務課 主任 三田信子

となっている。できたばかりの名刺だが、昨日からずいぶん配った。新島からもらった名刺にはカフェ蜂の巣のオーナーとだけ書かれていた。ひととおりご挨拶をして、ちょっと打ち合わせ事項がありますので、といって阿を離れたテーブル席に誘う。コーヒーを二つ頼む。

 「ちょっとあんたどういうつもり、しめて四千八百五十円なりの請求が来てるわよ。内訳いいましようか、えーっとホレレの乗車賃、100円が12回、一回100円か、タダじゃないのね。ま、そんなもんか。行き先わっと」

 「ゴメンナさい、チョト、ワタシ、ヨクワカラナイ」

 「あんた、昨日はもっとずっと日本語上手だったじゃない。こんなところに住めたらいいなとか言っちゃってさあ。いいよ、さっきはあんた助けようと思って、あんなウソついちゃったけど、態度によっちゃ、事件化するよ。」

 なんだか、スーパーの万引き犯と、警備担当者みたいな会話だなあと思う三田信子。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい、最初はほんっとに知らなかったんです。まあお金が要らないということは、誰かに請求が行くとはおもったけど。今あるお金で払います。」

 ということで、阿は自分は中国から来た留学生ということになっているけどほとんど不法就労者で、この島には情報収集と観光とバイト探しでふらっと来たこと、お金ははらえるけど、払ってしまうとほぼなくなることなど、実は太陽熱飛行船タイフーンクルーズに密航したことを除いてほぼしゃべった。

 三田は事前に入れた情報と正確に一致したので信用することにした。

でもなあ、不審者情報がもう流れちゃってるし、止めちゃったカードを持ってたわけだし、どうしよう。と思っていると。

 「打ち合わせは終わりましたか?」と新島オーナーが現れた。「このあとご予定はありますか?よかったら場所を移しませんか?

 二人が連れて行かれたのは、レストランタベルナの特別室のような場所だった。ウェイターが現れて、さっとケーキと紅茶が出る。

「なんだかお困りのようだったので、お役に立てるかと」といって改めて差し出された名刺があった。

  株式会社新島工業研究所 取締役会長 新島譲二

「実は、この方の動向はずっとチェックしていたのです。いや、県警とは関係ありません。まあ企業のセキュリティの一環で、失礼ながら経歴等もチェックさせていただきました。」

 みゃーと鳴く声がして、ひらりと猫がオーナーの膝に乗る。

「ミャーは実はロボットいやキャットロイドです。この島、妙に猫が多いと思いませんでした?実は20匹ほどのキャットロイドがこの島のセキュリティを担当しています。言ってしまうと元も子もないのですが、プログラム化された独自の判断で行動し、目と耳の情報をモニターできる。島の人間で知らない人はもぐりです。あ、もちろんダミーというか本物の猫もたくさん居ます。ほとんど区別が付かないと思います。見分けかたはー、内緒です。」

 ただただ、恐れおののく二人。

「ところで、お二人は今年の二酸化炭素の排出権は、もう売ってしまわれましたか。

もしまだでしたら、よろしければうちの会社で買わせてください。」

 実は昨年2020年から、二酸化炭素の排出権は各個人に割り当てられるようになったのだ。中にはまだ知らない人もいるが。

 もともと排出権取引は、企業が二酸化炭素排出量の削減目標を決め、多く達成した企業が、達成できなかった企業に売ることができるといったものだった。この制度には多くの矛盾があった。なるべく低い目標を立てた会社が儲かるわけだ。そのほかにもすでにたくさん削減目標を達成してしまった企業が不利になるという矛盾もある。

 というわけでなかなか実効性が上がらず、そうこうするうちにどんどん温暖化は深刻になってきた。先進国に追いついた途上国がどんどん排出量を拡大した結果だ。

 平均気温は21世紀初頭にくらべてすでに二度近く上昇している。世界人口は80億。世界の二酸化炭素排出量は多くの努力にもかかわらず炭素換算でも100億トンに達しようとしていた。海面上昇は不思議に進行していなかったが、これは温暖化のおかげで、白い砂漠といわれた南極大陸に逆に降雪が増えた結果とも言われている。ともかく早晩世界規模の温暖化ガス総排出量規制を行う必要があった。

 一方で二酸化炭素を排出する権利は一体誰のものか?という議論が高まった。つまるところ地球に生きている人類一人一人が等しく保有するものだというのが、法的に通説となってきた。もちろん法人ではなく、80億の自然人が所有しているものだ。

 ということで、規制対象となる総排出量を総人口で割った値をその年の初めに各個人に割り当てる。とりあえずスタート時には一人一トンとされた。各人は割り当てられた排出量を自由にネットなどで売買できる。

 同時に化石燃料は、排出権とセットで無いと販売できないことになった。使う側が手持ちの排出権をつけて買うこともできる。

また化石燃料に次ぐ大きな二酸化炭素の排出であるセメント生産も排出権を買わないと生産できない仕組みになった。コンクリートの原料であるセメントは製造過程で石灰岩(CaCO3炭酸カルシウム)から二酸化炭素を追い出して生石灰(CaO)を作るのだ。

 この仕組みが確立して、ようやく二酸化炭素の総量規制は功を奏し始めた。環境保護派の多くの人は、二酸化炭素排出権を売らずに、じっと貯める人も多かった。その分二酸化炭素が削減できると信じて。

逆に企業は排出権の調達が間に合わず、借り入れを起こすところもあった。どちらも認められていたが、借り入れがあまり多すぎると行政指導が入り、活動ができなくなる。

売る人より買う人が多ければ、市場原理で排出権相場は高騰する。いまや一トンの排出権は二万円くらいで取引されていた。各個人は年頭に二万円くらいのお金をベーシックインカムとして受ける権利を持ったことになる。

先進国ではこの金額はたいした金額ではなかったが、途上国ではおおきな貧民救済の財源となった。一家で10万円あれば一年暮らせる国もある。このお金を元手に商売を始めて、産業振興に役立っている国もあれば、人々が働かなくなって逆に貧しくなる国もあった。人々の無知に付け込んで安く買い叩いてまわる排出権メジャーも現れ始めた。

また生まれたばかりの子供にも与えられると、人口増加に拍車をかけるという指摘もあった。現行では一歳に達した後の年頭ににあたえられることになっていたが、七歳に改めようという動きも出ていた。

 

「お二人の排出権は?

「あたしは貯めています。一応環境保護派なので」と信子。

「そんなものがあるとは知らなかった。」と多慶。

「もし、ご家族の分もあるなら、それも含めてぜひ買わせてください。」

「すぐにお金がもらえるのですか?

「二万円くらいが相場なので、相場を確認してお支払いしてもいい。でも私としてはそれを弊社の株でお支払いしたいのですが・・・。

調べていただければ分かるのですが、弊社の株は今市場では一株五万円くらいです。それを排出権一トンと交換しませんか。悪い話ではないと思いますが。」

急な話なので戸惑う二人。

「実は、この島に住んでいる三万人のうち半分以上の人が、弊社の株主です。株主には配当のほか、この島ではいろいろと株主優待が受けられます。」と駄目を押す新島。

「あたしはちょっと株主はまずいかなと、仮にも監督カンチョーの人間ですから。」

「これは大変失礼をしました。」なかなか見かけによらずしっかりしたお嬢さんだ、市の役人と大違いだと思う新島。

「阿さんはいかがですか、その、大変申し上げにくいのですが、弊社の株主ということになっていただければ、当面の身分保障はできますが・・・。」

「あとですねー。うちは配当がすごい。なんたっていまやマイクロソフトを上回る超優良企業ですから。この島で暮らしている株主の多くが配当と優待だけで生活してる。十年で元が取れると言われている。それがあなた一年分の排出権料と引き換えなんですよ」「お願いしまーす。」と一も二もなく頭を下げる阿多慶。

 

その特別室にもアップライトのピアノがあった。しかもその上にはバイオリンが乗っている。三田はこの島には練習用の電気バイオリンしか持ってこなかった。思わず「触ってみてもいいですか。」と聞く信子。「どうぞどうぞ好きなだけ弾いてください」

なんとそこにはモーツアルトのホ短調ソナタの楽譜が。思わず新島を見る信子、微笑む新島。

新島の思惑通りか、阿とのデュオになった。初見に近いはずなのに見事なアンサンブル。新島が「では私はこれで」というのでお開きになった。

バイオリンはいい音がした。「安物だけどよろしければお貸しします」と新島。

「ま、これくらいいかなー」と受け取る三田。「まさか盗聴マイクとか仕込んでないだろうなー。」

別れ際、三田が阿に言った。「えーっと、とりあえず、月曜の午後、庁舎に来てね。四千八百五十円働いて返してもらうから、臨時職員君」

(次号に続く)